どうも、虫明です。
今回はプライベートな話です。
というのも昨年11月に次男が誕生して【出産とそれに伴うリスク、そしてこれからの話】です。
読む方にとっては非常にセンシティブなものなので、ちょっとな…という方はブラウザバックして下さい。
ただ、これを書くに当たって同情票が欲しいとか、そういうことではなく単純に自分自身が無知過ぎて本当に後悔したので、シェアすることで少しでも誰かの役に立てればと思いキーボードを叩いています。
2018年下半期
2013年に長男が誕生し、妻と三人で極々平凡に暮らしていました。
まぁ一人っ子で伸び伸びと育ってくれていたんですが、妻も私も兄弟がいて、やっぱり兄弟の良さってあるよねと話していて。
当時二人共35歳で、まぁ産むなら早い方がいいかといわゆる妊活を始めました。
ところがなかなか妊娠せず…
うーん、なかなか難しいねーと話し、クリニックでも行ってみるかと話していた矢先…
2019年2月
今までのことがあれっ?という様な感じで妻が妊娠しまして、良かった良かったと喜んでいました。
ただその少し後から【最初の記事】でも書いていた通りYouTubeを始めたり、自分のやりたいことを優先して家庭のことは妻に任せておけば大丈夫だろうとタカを括っていました。
その時はまだ今後起こることを何も考えずに。
2019年11月
そんな感じで約10ヶ月何事もなく(妻には何回か叱られましたが)過ぎて、いよいよ予定日の週。
無知故に何も心配してなかった私でしたが、どうやら大きいらしいというのと長男の時よりも腹が大きいなと思っていました。
そして、なかなか陣痛が来なさそうというのと早めに産んだ方がいいという先生の話で促進剤を使うことに。
いよいよ出産予定日、会社に半休をもらいクリニックへ。
長男の時は里帰りしてたので出産のことをほとんど知らなかったのですが、妻がだいぶ苦しそうだなと。
初めて出産の痛みを(それでも氷山の一角にもならないくらいでしょうが)目の当たりにしました。
夕方から面会ギリギリの時間までいましたが、まだ産まれなさそうというのと長男がグズり始めたので、もし夜中に来たら駆けつけるということで一旦引き上げました。
出産日
で、起きたら翌日の朝。
その日は予約も入ってたので日中の出産かなーと思い、大して心配もせず出勤しました。
ちょうど朝の掃除が終わって準備している時に妻からの電話。
あ、産まれちゃったかーと電話に出たら…
「ごめん、赤ちゃん息してなくて。」
頭が真っ白になりました。
本当にパニックになると人間何にも出来ないんだな。
とにかく搬送された病院に行ってくれと妻に言われ、その日の予約のお客さん全員に連絡をして、自転車で向かいました。
まぁ、良く行けたなとも思う訳ですが、向かう途中で色んな想いが出てくるんです。
妻が医療従事者ということもあり、色んなリスクを抱えた子供の親がどんな生活を送っているかなどなど少しは話したことがありました。
なので、あ、もう美容師出来ないな家で出来る仕事何があるかな、PC触るの好きだからエンジニア出来るかな、もう何もかんもリセット出来ないかなとか。
正直混乱している状態で色んなことを考えました。
早く行かなきゃと行きたくない気持ちが同居して、でも足はどうにか動かしてる。
そして、クリニックから徒歩5分の所にある子供の医療研究センターにつきました。
NICU(新生児特定集中治療室)
病院に着いて何も聞かされてなかったので受付で訳も分からぬままに入院手続きを済ませNICUへ。
ここまで宇宙のど真ん中に放り出された様な感覚でした。
すぐ息子に会えるのかと思いきや、面談室でしばらく待って下さいと言われました。
そこでの待ち時間は何分か全く覚えていませんが、果てしなく長い時間に感じました。
ただその途方もない時間の中で少しずつ少しずつ自分の中で分かってきたことは
息子はもう一生動かないのかな。
暫くして先生が来ました。
私の処刑人の様に見えました。
程なく、先生が話し始めます。
「息子さんは重症新生児仮死という状態で産まれてきて、低酸素性虚血性脳症という病名です。」
ああ、そうか。なんか妻から聞いたことあるな。
頭真っ白の状態に隅っこから真っ黒のインクが染みてくる様な。
暫く今の状態の話をされて、詰まる所今後はどうなりますか?と先生に聞くと、
「良くてほぼ健常者、悪くて脳性麻痺です。」
希望と絶望が交互に襲ってきました。
先生がもう一度処置に先を立ち、また一人面談室に取り残されます。
じーっと待っていると目から涙がこぼれ落ちてそこから止まりませんでした。
息子がどうにか命を繋いでくれて嬉しい気持ち半分、これから息子がどうなるかという恐怖の悲しい気持ち半分。
ひとしきり泣いた後、いよいよNICUにいる息子に会いに行きます。
ここでもまた、会いたい気持ちと会いたくない気持ちが入り乱れながら。
ここです、と案内された保育器の中にいる息子は【低体温療法】という低酸素性虚血性脳症に有効とされている治療の途中で、人工呼吸器が挿管され何やら色々な器具がつけられながら少しだけイゴイゴしていました。
その姿を見ると、涙が溢れました。
とにかく生きてくれていて良かった。
初めて見る息子はめちゃくちゃ大きくて、ネームプレートの下に「4590g」と書いてありました。
妻のいるクリニックへ
暫く息子といて、出産を終えた妻がいるクリニックへ向かいました。
わずかに動いている息子を見せると、妻も泣いていました。
少しするとクリニックの先生が来て、出産の経緯の説明を受けました。
ただ、その時の私の頭にはクリニック側に対する何かミスったんじゃないの⁉︎というやりようのない怒りしかありませんでした。
はぁ…と返事をして、今考えるととんでもない顔で先生を睨みつけてた様な気がします。
その後、もう一度息子に会いに行って長男の待つ家に帰りました。
長男を寝かしつけて、今日初めて聞いた色々な言葉を片っ端からネットで調べました。
無知を知る
例えば【赤ちゃん 大きい】と調べたら、まぁ色々な情報が出てくる出てくる。
出産のリスク、体重ランキング、子育て、洋服などなど。
そこで結局この10ヶ月の間、子供に関わることを一回も知ろうとしていなかった、何も知らなかった自分自身に気付きました。
やりどころのない怒りは一気に無知な自分へ向かいました。
少しでも調べていたら、何か妻に、先生に言えたかもしれない、出産の大変さを理解出来ていたかもしれない。
本当に情けなかったです。
別にひけらかしたい訳でもないし、聖人になったつもりでもありませんが、今回息子が産まれて来るにあたって辿った過程を記しておきます。
あくまでズブの素人がネットで得た程度の知識なのであしからず。
肩甲難産
経膣分娩(所謂普通のお産)の際、頭が出たものの肩が引っかかって出産に時間がかかる、難産になるものを言うそうです。
通常頭が出てから1、2分で肩が出るらしいのですが(先生のお話のうろ覚えですみません)、息子の場合はそこに6分程かかったそうです。
この話を聞いた時、じゃ帝王切開にしとけば良かったやん!と思ったのですが、色々と調べてみるとやはり頭が一番大変で、肩が引っかかるかどうかはエコーの段階で判断出来ない様です。
また、実際肩甲難産になる赤ちゃんも巨大児(4000g以上の赤ちゃん)だけでなく、小さい赤ちゃんでも十分なり得る可能性があるらしいです。
詰まる所、エコーで胎児の正確な大きさ、それに伴う難産の可能性を正しく判断することは不可能に近いと書いてありました。
寧ろ、そうなった時の迅速な対処が求められるとも。
そういう意味では後日妻の話を聞いて、クリニックの先生が適切な対処をしてくれたんだなと分かりました。
低酸素性虚血性脳症
新生児や胎児が何らかの原因で、呼吸や神経系などの不全状態(新生児仮死)から起こる脳障害だそうです。
国内の出生では400人に1人位の割合で発症しているそうです。
呼吸や血液の循環が正しく行われないことで脳に酸素や血液がいかなくなり、脳の細胞が死んでいき、重篤な後遺症や死亡のケースもあります。
程度も軽、中、重度があり、また、脳のどこにダメージがいったかで後遺症として何が発生するかも様々だそうです。
発症からどのくらいの時間で下の低体温療法などの処置を行ったかでも、だいぶ違う様でとにかく迅速な対応が一番だそうです。
息子の場合は新生児仮死からの蘇生の段階で、呼吸は何とか、脳波が弱いという見立てで中程度の低酸素性虚血性脳症と診断されました。
アプガースコア(新生児の健康状態、10店満点)は4か3?で少ししんどいかな、くらいだったそうです。
前述した通り、先生の見込みとしては良くてほぼ健常者、悪くて脳性麻痺(身体は動かない)でした。
低体温療法
上記の低酸素性虚血性脳症の中~重度のものに有効とされ、十数年前から施行される様になった治療法だそうです。
脳症でダメージを受けた脳の細胞は死滅する時に周りの細胞も巻き込んで死滅していくそうです。(先生がだいぶ砕いてお話してくれたので、学術的には正確ではないかもしれません)
その二次的な被害を最小限に抑えるもので、発症から6時間以内に新生児の体温を72時間の間32~34℃に冷やすことで、冬眠状態の様にするものです。
当然心肺や循環器の活動も低下するので、呼吸器をつけたり強心剤を使いながら。
これは本当に不幸中の幸いですが、息子の場合はクリニックから医療センターまでが徒歩圏内で出産から1時間半で治療を行えたのがラッキーでした。
ただ、この治療中は鎮静剤も打ってるのでほとんど寝てる様な状態なので、見るのは少し辛かったです。
腕神経叢(そう)麻痺
分娩麻痺とも呼ばれるらしいのですが、出産の際、中々胎児が出てこない時に大人のかなり強い力で引っ張ったりすることで起こる新生児の神経の損傷です。
名前の通り、これは腕の神経の損傷なのですが、やはり巨大児や難産になった場合起こりやすいそうです。
また腕は5つの神経根が通っていて、動く箇所や程度によりどの神経根が損傷しているかで上位型、下位型、全型に分けられます。
息子の場合は、低体温療法の最初から指先だけは動いていたので、全型ではなさそうですが、経過を見て神経の再建手術も考えると。
本当にネットで検索するだけでこれだけの情報が出てくるのに、出産に際して何も知ろうとしなかった自分が情けないし、妻と子供に申し訳なく思いました。
退院まで
低体温療法も無事72時間終わり、それから息子の経過を見て退院の目処をつけようとなりました。
恐らく通常だと2週間~1ヶ月と先生に言われ、今まで何にもして来なかった自分に出来ることは毎日会いに行くことしかありませんでした。
もし代われるなら代わりたい。
自分の命と引き換えに息子が治るなら惜しくない。
ハガレンの等価交換でも、ドラクエのメガザルでも、北斗の拳のラオウでも、どうにかなるならどうにかしたい。
漫画やドラマでちょいちょい見かけた様な気持ちになるんだな、と思いました。
それから有り難いことに息子の経過も良く、2週間後に退院が決まりました。
退院当日、先生に面談室に呼ばれ…
「検査の結果ですが…」
……….
「脳に病変は見られませんでした。」
はぁぁ
こんなに泣いた数日間はなかったし、もうここまでのことはないと思う。
毎日会いに行って帰りに神社でお祈りして、それが少しは効いたのかな。
赤ちゃんの生命力に感謝です。
まだ右手は動かないけど、それは自分達がサポートすればいいし、これから良くなっていくと思う。
もう十分過ぎるくらいの喜びを教えてくれました。
ただ、NICUに通っている間、日毎夜毎に運ばれてくる色んな赤ちゃん、親御さんを見てきました。
その中でそれぞれの家庭の今まで、今、これからを考えると自分達だけ手放しで喜べる気はしませんでした。
決して哀れみではなく、子供が死の淵に行って、それが今後どうなるかも分からない状態を体験したからこそ、少なからずそういう子を持つ親の気持ちが分かるつもりです。
その中で日々を逞しく幸せに思う気持ちもよく分かります。
実際、息子が産まれて生きていてくれたことが何より嬉しかったので。
しかし、無事健康に産まれてきた赤ちゃんとは色んな違う生活が始まるのもまた、事実です。
勿論出来るだけ大変な思いをする赤ちゃんが少なくなればと願いますが、自分達も「まさか」と思っていたことが現実に起こったし、出産とはそれ位のリスクと産まれる喜びを含んだ重大なことなんだと理解しました。
これから
退院した息子は現在順調に育ってくれています。
右手はやはりあまり動かなく、肩は少しだけ上がるくらいで、肘はまだ自分の意志では屈曲出来ない状態です。
そして、今後も脳症の後遺症で何かしらの障害が出る可能性もあります。
ただ、やっぱり人間生きていたら何が起こるか分からないので、それを今から心配して不安に過ごすよりも、耐え抜いて生きてくれたことに感謝して今を楽しく過ごした方が良いと思っています。
終わりに
今回のことで息子は自分自身の至らないところをたくさん教えてくれました。
これからは私が子供達に返していかなければいけないなと思っています。
達観したつもりなんてないし、寧ろようやく親として少しはマシになったかなという感じです…
ただ、シェアすることで何かしら誰かの役に立てばと思っています。(実際自分が色々と調べた時、学術書とかが多かったので)
今回は去年の体験をそのまま書いていったので、途中文体が入り混じって読みにくかったかもしれません。
そんな感じで【親として無知過ぎて情けなかった話】でした。